2009/10/25
「太陽に吠えろ」などの代表作で知られる石原プロモーション!
その石原プロにも危機的状況があったそうです。
…もう何年も満足な給料も払えず、80人を擁した社員は、一人去り、二人去り、残るは12人だけとなった。
事務所もプレハブ小屋、撮影機材も全部お金に換えた。
裕次郎の300坪の成城の豪邸も、抵当に入っている。
夫人のまき子さんも、貴金属から洋服まで全部手放し、借金払いに充てていた。
心労から裕次郎は結核になり入院!完全にやりくりがつかなくなっていた…。
裕次郎の片腕、当時石原プロ社長の樋泉(ひいずみ)さんは、声を出して泣いた。
「俺は死ぬのは怖くない、でも裕次郎の顔に泥を塗ってしまうのが死ぬよりつらい」
樋泉社長は、グラスに注がれた酒を一気に飲み干した。
明後日には3億6千万円の手形の決済がせまっている。
それを聞いたもう一人の盟友、川名さんが「裕さんにテレビCMに出るように説得できないだろうか」そう呟いた。
根っから映画屋の裕次郎をテレビCMに出す。(それは、命がけの説得だった)
翌日、樋泉の命がけの説得に、裕次郎はOKを出す…。
樋泉と川名は、その足で東京駅に向かい新幹線に飛び乗り、宝酒造㈱の大宮社長に会いに行った。
社長の大宮の姿を見るなり、樋泉と川名は社長室でいきなり土下座した。
「御社のCMに裕次郎を是非出演させて下さい。つきましては、その出演料3億6千万円の本日の支払いをお願い致します。」やぶから棒の話です。
「無礼者!!」と怒鳴られ、放り出されても仕方がない振る舞いです。
しかし、社長の大宮は苦労人!樋泉たちの必死の姿に、心を動かされるものを感じていました。
当時の3億6千万円といえば、現在の20億に匹敵する大金です。
その金を即答していますぐに出せは、いかにも無理難題です。
その頃の宝酒造の経営状態も、必ずしも順調なものではありませんでした。
大宮社長は、ジッと腕を組んだまま天井を見上げ、5分が経ちました…。
「分かりました。お金は出させて頂きます。」
樋泉と川名の膝が、ガクガクと震えて止まらなくなった。
大宮は経理部長を呼ぶと、目の前で小切手を切るように指示した。
樋泉と川名はたまらず抱き合って男泣きに泣いた。
「樋泉さん、これで生きれるね、死ななくていいんだね」
「ありがとう、ありがとう」傍で大宮社長も、もらい泣きをして泣いてくれていました…。
2週間後、裕次郎が台本を書いて盟友宇野重吉と競演した「裕次郎、人生とは…」「飲むことよ!」のあの名シーンを生んだCM撮影が行われました。
(20代の方は、分からないかも(^_^;))
そしてそのCMが流され、大変な人気を呼ぶこととなりました。
この成功により宝酒造の「慶びの酒、松竹梅」は慶祝贈答酒部門の№1の地位を獲得、今日の宝酒造発展の礎となったそうです。
大宮社長の、命を懸けた必死な人間への優しい思いやりの心が人を生かし、また自らも生きる道を開いたのですね…。(出典muranisiブログ)
今では御祝いごとで使われるのが、当たり前になっている「松竹梅」にまつわる本物の男達の物語に感動しますね。
投稿者 stylish:2009年10月25日 12:00
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.stylish-house.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/55






